時は経ち一七二年の夏、十七歳の成人に成長した孫堅は父親の仕事の手伝いで父親と一緒に多くの人で混雑している船で銭唐まで向かっていた。

 “文台(孫堅の字)よ、もう少し真面目に役所の仕事に精を出してくれんかのう。お前が仕事もせず、悪たれどもと遊んでばかりおるので、わしも役所じゃ肩身狭い思いをせんとならんのだぞ?”

 父親が話しかけても孫堅は上の空であった。彼は船上のある女性に心を奪われていた。


 ・・・・・奇麗じゃ〜・・・・・いや〜〜おったまげた・・・・・あんなに奇麗な女性は見たことがないな・・・・・。色んな女性を見てきたが、あ〜いう知性のありそうな美女はそうおらんぞ・・・・・。こんなに見つめているのに中々目が合わないという所も何となく惹かれるの〜・・・・・。

 “おい!文台!!”


 父親に怒鳴られてようやく話しかけられていることに気づいた孫堅は

 “聞いておりますよ、父上。しかし、わしなんぞ孫家の二男坊であるわけだし、役所の仕事は聖台(孫羌の字)兄貴に任せてわしは好きに生活させてくれればいいじゃないですか。聖台兄貴も最近は体の調子もすこぶる良く、役所にも休まずに通っているわけですし。それに幼台(孫堅の弟で孫静の字)だってもう既に14歳で役所の仕事ならいくらでもあいつが出来ますよ。ただ、あいつは名前通り静かな上に無口で何を考えているか分からないところがあり気味が悪いですけどね”

 と言うと大笑いした。すると

 “馬鹿者!聖台は聖台じゃ!幼台は幼台じゃ!あいつら二人はようやっておる!お前にあいつらの事を言う資格は無い!我が孫家に職にもありつけず、悪たれ共の頭領の真似をしているお前がいるということが恥ずかしいのじゃ!!”

 と父親に孫堅は怒鳴られた。

 “そんなに怒鳴らんで下さいよ・・・・。あの女性に叱られているところを見たら恥ずかしいじゃないですか・・・・”

 と孫堅は恥ずかしそうに心を奪われていた女性をチラっと見ると、案の定、目が合うと可笑しそうな顔をして目を逸らされた。

 
“お前という奴は・・・・”

 説教をしても女性のことが気になる孫堅に対して流石の父親の呆れてしまった。

 このままだと、彼女に情けない男だと思われるかもしれないと思った孫堅は思い切ってその女性の側に行こうと決心すると、何故だか船上は騒がしくなり船がいきなり止まり出す。何事が起きたのか確認するために船の左舷側に人が集まっているので、そこに紛れて見てみると丁度、銭唐の桟橋の周りで多くの船が固まり桟橋に着けられない状況になっている。

 孫堅が搭乗している船の船頭が大声で他の船の船頭に何が起きているのか聞いてみると、別の船頭は

 “どうも海賊の野郎が桟橋を占領して町の盗品を自分らの船に積み込んでいるらしいぞ。そいつらがどくまでは誰も桟橋には着けられない状況だそうだ”

 と返事をしてきた。すると、その船頭の返事を聞いた幼い少年が、姉さん!大変だよ!と叫ぶなり孫堅が一目ぼれしていた女性の元に駆けていった。弟の話を聞いた女性は顔を曇らせたような感じであったので思い切って孫堅はその女性の側に行き

 “浮かない顔をしているようだが、何か困ったことでもあるのかね?”

 と尋ねた。突然、話しかけられた女性は少し不審な顔をしたが正直に
 
 “いえ・・・・大したことではないのですが、実は弟が他の町に行ってみたいと言ったので、叔父に黙って弟を連れて町を出たものですから、あまり遅くなると叔父が心配してしまうのではないかと気になっただけです。特に気になさらないでください。”

 “いや、わしらも急いでおり、どうしたもんか悩んでおったところです。それに、あなたも悩んでいるようなら、ちょっとあの海賊の船をどけてきましょう。”

 と言うと、孫堅は父親に向かって

 “父上!ちょっと、あの海賊を退治してまいります!”

 と叫び、呆然とする父親と女性を横目に、いきなり船から河の中に飛び込んだ。

 さて、河を泳ぎ岸に上がった孫堅はびしょ濡れになった服を絞りしばらく考え込んだ。良いところを見せようと威勢よく河に飛び込んだものの、相手は恐らく人を斬った経験もある海賊で複数はいるであろう。一方、自分は町では喧嘩に負けたことはなく町の悪たれ共を率いている。ただし、自分の人生で人を斬った経験が無い。目の前で人が斬られた経験もない。人を斬った経験の差は腹が据わるか据わらないかということでは大きいのではないかと考え始めた。とは言え、このまま考えていても何も始まらない。父親とあの奇麗な女性の前で大見栄をきったからには何とかしなければ笑い物になってしまう。

 “考えても仕方なかろう・・・・”

 そう独り言を呟いて、取りあえず孫堅は桟橋の方向に向かった。桟橋の前では人だかりが出来ており、多くの人が遠巻きに海賊を見ている。群衆をかき分け、先頭に出るとまず孫堅は海賊の人数を数え始めた。数にして8名の海賊が盗品を分けて船に積み込もうとしている。そして、その積み込みの指示を出しているのが恐らく海賊の頭領であろう。もし、この海賊が烏合の衆であるなら頭領を倒すだけで浮足立つかもしれない。喧嘩慣れしている孫堅は、いかに最初に強烈な一撃を相手に与えるかを考えた。

 彼は桟橋に向かって歩き始め、軽く口笛を吹いて海賊の注目を引きつけると、指でいかにも誰かに海賊を取り囲むような指令を出している仕草をした。

 海賊の頭領である胡玉は孫堅の仕草を見て

 “ち・・・・思っていた以上に官兵が早くきやがった・・・・・。野郎ども!今持てる盗品だけ持ってとっとと船に乗りやがれ!船を出すぞ!”

 と、胡玉は手下に指令を出した。

 手下の海賊が両手に盗品を持ち船に乗り込もうとした一瞬を孫堅は見逃さずにいきなり走り出した。彼が最初に与える一撃、それは胡玉の首である。一方の胡玉は、手下に船に乗るように指示を出していたため孫堅が自分に向かって走ってくることに気付かずにいた。そして孫堅の走ってくる足音を聞いてその方向に首を向けたが、それが胡玉の見た最後の風景となる。



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